人間、人によって色々としがらみを持って生きているものです。私はまだ20そこそこの小娘ですが、自分の身の回りの人たちを見ていてそう思うようになりました。
例えば、私の祖父ですが、彼は「この地域の顔役を長く務めるこの家の長」というしがらみを持って生きているようです。年齢70を軽く越えていながら、まだまだ足腰もしっかりとかくしゃくとした立ち居振る舞いは、孫の私から見てもとても立派だと思います。反面、立場が邪魔をしているのか、兄の子供、つまり祖父にとっては「ひ孫」にあたる2歳の女の子には上手に接することが出来ないようで、きっと本人の中で「地域の顔役」と「ひいおじいちゃん」が上手く同居出来ていないのだろうなと、私は感じています。
このように身内の観察を偉そうにしている私ですが、自分自身もしがらみに捕えられているなと感じている部分があります。私はこの家でお金の管理をしているのですが、その保管先が例え家の金庫であっても、管理台帳をしっかりとつけています。理由は一つで、「そうしないと私は役目を果たせないと感じ、気持ちが悪い」からです。
私は小さいころから母親に、「お金の管理」を徹底して教育されて育ちました。兄は経営学を父から叩き込まれていたので、きっと「兄妹でこの家を支えさせよう」という思いだったのだろうと思います。まだ4歳になるかならないかのころから、そんな金勘定を仕込まれた私は、もう習性として「お金の管理台帳をつけないと気持ちが悪くなる」ようになってしまっているのです。
自分では「もう母はいないのだし、解放されてもいいのではないか」と思うのですが、身に沁みついた習性はなかなか落ちてくれないのです。